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  • 執筆者の写真真由美 江部

「自立」とは、社会の中に依存先を増やすこと




東京大学先端科学 技術研究センター 当事者研究分野 准教授、小児科医である、熊谷晋一郎先生の記事です。


「スティグマとは、当事者に差別や偏見で劣等感を植え付けてしまうものです。 これに対する特効薬は、とってもシンプルです。地域社会が包摂的になる事です。社会にはいろいろな人がいる。統合失調症の人もいれば、身体障がい者もいる。分離されずに一緒にいることが重要なのです。そして互いに、自分の認識は妄想かもしれず、にもかかわらず言葉を交わすことで、異なった妄想に共感でき、同時に合意できる現実を見出すことができると実感することです。」


「健常者はすでに自身に見合った依存先が複数あり、自分では意識せず当然のようにそれを利用しているだけです。 いつでも利用できるトイレがたくさんある、地震などでエレベーターやエスカレーターが止まっても、避難できる非常階段がある、疲れたら腰掛けられるベンチがあるなど、社会は健常者にとって多くの依存先にあふれています。健常者が何もせずとも得られている恩恵を、障がい者は、享受できていません。 ただ、これはしばしば誤解されるのですが、「依存先を増やそう」というメッセージの宛先は、障害を持つ当事者ではありません。依存先は、障がい者本人が自助努力で増やすことのできないものです。自助努力だと勘違いすると、医学モデル的なメッセージになってしまう。「依存先を増やそう」というのは、あくまでも社会へのメッセージです。社会に依存先という選択肢をたくさん提供してもらわねばならないのです。そして社会は、私たち全員のことです。一部の障がい者のことでもなければ、健常者だけでもありません。」

「組織は、従業員の失敗を詰問するのではなく、失敗を組織の宝として分析し、学習につなげる。それは、障がい者も失敗を恐れず多くのことにチャレンジする前提条件になります。失敗を罰しないで学習し続ける組織は、組織と従業員双方の成長につながると思います。」

 

この記事を読んで、非常に心が揺さぶられました。


「自立」という言葉自体が誤解を与えがちですが、私たち自信も様々な支えがあって一人の人としてそこにいる。自分で立っているつもりが、いろんな人やモノに寄りかかっているなんて当たり前なのでしょう。誰かの手を借りて立つことは恥ずかしいことどころか、誰の手も借りずに立っている人などどこにもいないとさえ思えます。


私も多くの失敗を重ねてきましたが、それはやっとの思いで這い上がり、手探りしながら、偶然にも支えてもらえる「依存先」に巡り会えたからこそのこと。


様々な障害を持っている方たちが、ただでさえ必要な「依存先」を見つけるのはハードルが高い社会なのかもしれません。


社会を変えるのは一朝一夕ではいきません。

そして私たちが関われるのは、非常に少ない人数かもしれませんが、その方たちの安らげる「依存先」になりたいと強く思います。

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